政局の混迷やら、残酷な殺人事件の続発やら。子供が大事にされぬ風潮やら、相変わらずな不景気やら。あんまりいいニュースが聞かれない中に射した一条の光明。世界的なスポーツの祭典で、日本代表が大活躍し、人々は祈ったり歓喜したり、そりゃあもうもうという大騒ぎをし。いくらかの寝不足も何のそのと、久方ぶりの晴れ晴れとした朝を迎えただろうと、メディアはそれは誇らしげに朝一番のニュースで告げており。
「……あ、佐伯さん。」
くあぁと大きく口を開け、大あくびをしつつ通り過ぎかけた男性を、給湯室から女性のお声が呼び止める。通り過ぎかかっていた側の彼は、随分と眠そうな様子ではあったれど、それでも名指しの声には自然な反応を示し。肩越しにそちらを振り返って見せたれば、
「夜勤だったんですね、お疲れ様です。」
にっこり微笑って手提げタイプのビニール袋を差し出したのは、交通課の制服姿という顔見知りのうら若き婦警さん。
昨夜はほら、例の試合があったじゃないですか。
万が一にも暴走行為や騒動が起きないかって用心から、
わたしたちも臨時に駆り出されて詰めてたんですけれど。
結局、大した騒ぎは起きなかったんで、
半日出勤扱いってことで、今から上がりなんですよ。
「で? お夜食の残りかな? これ。」
やだなぁ差し入れじゃあないですかと、悪びれることなくのあっけらかんと、そのまま警察官募集のポスターにしたいような笑顔で応じる彼女だったので。数本の缶コーヒーと菓子パンの入ったそれ、ありがたく頂戴した彼こそは、
「やだ、ユッコったら。佐伯さんへ随分気安いんだ。」
「あらあら、だって。佐伯さんて誰へでもあんなだよ?」
警視庁捜査一課 強行係所属の若手…から、そろそろ中堅どころと呼ばれる格へ落ち着いて来たらしき、バリバリの現場担当、初動班統括主任の刑事殿。芸能人やモデルばりの、華やかなまでの美貌の君…というワケじゃあないけれど。職務柄か、真摯に集中すると冴えた表情がやや恐持てなそれへ尖ってしまうのを唯一の難に、立ち居や言動の端々にシャープな印象のする、刑事課の数多いる男衆の中でも 女子職員らに人気の好男子筆頭様であり。誠実でソフトな人当たりをしており、熱血とか根気とかいう野暮ったい職業色には、まだ何とか染まらずにいるクチであることから、群を抜いて人気が高いのではあるが、
「決まった人がいるでなし。」
「だから、誰も彼もが虎視眈々なんじゃない。」
「少年課のK山さんとか、凄っごいお熱らしいんだってのに。」
一緒に夜勤だった仲間内なのだろ、すぐそこだったロッカー室で待ち受けていた他の婦警らが、気安い会話をこなしていた同僚さんへ、微妙に責めるように言い立てたものの、
「そういうのへは なびかないと思うよ? 佐伯さん。」
つい先日夏仕様の半袖へ替わったばかりなブラウスの襟元、形よく結ばれたネクタイに手をかけつつ、当の彼女は しれっとした口調にて言い切って、
「なんで?」
「う〜んと、だから。
仕事が楽しくってしょうがないって雰囲気するじゃん。」
いつ休んでんだろって思うほど、いつだって…住んでるんじゃないかってほど此処にいるっしょ? 汗臭くも しゃにむな熱血さんとか、融通が利かないほど四角四面な人じゃあないから なかなか出世はしないけど。それにしちゃあ、趣味とか好みとかこだわりとか、そういうのが有りそな気配がちっともしないし…と。特に注意してなくとも拾えること、言われてみれば そうだと心当たることを的確に挙げて見せ、
「人付き合いが嫌いってんじゃないとは思うけど、
じゃあさ、
誰かに一杯やってこって誘われて、連れ立って帰るトコとか見たことある?」
確かに 年中無休の引っ切りなしに起こる事件へ、片っ端から対応せねばならない職務だが。だからといって全くの全然、休みが取れぬということもない。順番に…せめて週に何日かでも自宅へ帰れるようにという、最低限の計らいは されているはずであり。
「……そういや そうよね。」
「課の花見には来てたらしいわよ?」
「でもあれって、乾杯こそしたけど 後は抜けるの自由な代物だったし。」
話を突き合わせることが出来るほどに、結構 人気者ならしい佐伯刑事だがだが、こうまで注目が集まっていながらも、その素顔を全てさらしちゃあいないらしく。明けっ広げな風に見せていながら、実は謎の多き人だったのだと、あらためて思い知った彼女らだったりし。
「趣味がないほど、そこまで仕事好きだったとはねぇ。」
「あんな涼しい顔してて、実は熱血タイプとか?」
「どうだろ、それはないんじゃない?」
ああでもない こうでもないと、誰の彼氏でもない男性のこと、掘り下げだした彼女らであり。冒頭に挙げたような様々な犯罪の発生件数を数えれば、枚挙の暇がない筈な大都会の只中ではあるが、此処だけを見る限りでは何とも平和な所轄であることよ。(う〜ん)
◇◇◇
刑事ドラマなんぞの場面転換のシーンに、ちょっぴり特徴的な形をしたその姿が使われている警視庁は、時に“桜田門”と呼ばれるそのまま、皇居の一角、桜田門の向かいにあり。今頃の時期だと、お堀の側を見やれば、栃の木の並木が若葉を抱え始めているのがようよう見渡せる。そんな都心も黎明の刻限を越し、しらじらを明るみを満たした空には、新しい朝が訪のうており。
「今日もいい天気になりそうですね。」
その管区の広さをまんま思わせる広々とした大部屋の一角、やはり夜勤だったらしき見慣れた人影が、ポツンとデスクについているのへと声を掛ければ。かつての“昔”と変わらぬ、背中まで延ばされた豊かな蓬髪がおやと動いて。やや意外そうな顔付きで、上着を脱いだシャツ姿の上司殿がなめらかな動線でこちらへと振り向いた。何かしらの事件へと専従捜査を担当しているのはもはや常態。とはいえ、昨夜はそういったクチの存在もテレビ観戦を優先したものか、ちょうど手隙となった彼らへは、急いで捜査へと奔走するほどの事件も降っては来なかったらしく、
「何だ、帰ったのではないのか?」
今時は携帯電話の性能も上がったため、重大な事件の捜査へ関わっていてのこと、引き継ぎや申し送りの必要があったとしても、何もこの、刑事らの詰め所である部屋に誰ぞが常駐している必要はないほどであり。ましてや、彼らは結構厄介だった事件を解決へと導いての、久々に息抜きをしてもよくなった身。むしろ、いつ大掛かりな案件が次の仕事として降って来るやも知れぬのだから、じっくり休んで英気を養っておけと、他の面子もとっとと帰らせていた“強行犯係 島田班”だったりし。
「そういう警部補殿も、まだおいでじゃあないですか。」
「なに、三班への引き継ぎがあるのでな。」
他の班は、いや彼らのグループだって、徐数でのナンバリングがされているのだが、それをおしても班長の名が冠されている彼らなのは、よくも悪くも“勇名”が過ぎてのこと。映画やテレビドラマで繰り広げられているような ド派手な格闘だの追跡劇などは、さすがにそうそう手掛けやしないけれど。それは彼らを束ねる存在が、緻密にして遺漏の無い容疑者への分析と囲い込みを、その頭の中で 速やか且つ強靭な策として常に構築しているからで。頼もしき部下らが収集して来る情報を束ね、負けずに頼もしい指揮を執るべく捜査統括を担う班長の島田勘兵衛警部補といや、いつまでも現場にいるのが不思議なほど、切れ者で重厚な人物として、知る人ぞ知る名物刑事であり。背景の錯綜した複雑な大事件ほど彼らの班へと割り振られ、だというに、犯人検挙率も起訴へと至る効率も、どの班にも引けをとらないほどにサクサクと軽快な鮮やかさだと来て。現場の担当者なぞどれほど辣腕でも名前も知らぬとされる上層部からも一目置かれ、彼が指揮する面子ごと、特別な班だと頼りにされてもいるという、局所的有名人でありながら。何の、あれは現場でこそ使える男ではあるが出世には向かぬ、根回しや何やという要領が悪いから、ともすりゃ部下らの出世にまで悪影響をもたらしてる疫病神…とまで陰でこっそり罵る者も少なくはないベテラン殿であり。
「勘兵衛様こそ、一番お休みにならねばならぬ身でしょうに。」
ワンマンだというのではなくの、だが。彼の聡明で奥深い解析力や、彼が率いるからこそついてゆこうと思うし無理も進んでしようと思わす、頼もしい統率あってこその優秀なチームでもあり。生身の人間、どこかで心身共に休んでおかねば、疲労の蓄積からいつか引っ繰り返ってしまいかねぬのは、彼へも例外ではないことだろに。先程の婦警らの井戸端会議じゃないけれど、いつ休んでおいでなやら、どんなにいきなりという召喚へも応じ、現場や本部へ苦もなく顔を出す姿を指しての、言わば忠言であったりするのだが。
「ああまあ、伝達を済ませば帰るさね。」
ほのかに苦笑をし、その話はこれまでということか、差し出された缶コーヒーを手に、視線をそもそも向いてた窓の方へと戻す上司様。仕事にまつわらぬ会話へ言葉を荒げる人じゃあないが、これ以上は何を言っても訊いても無駄かと。それこそ蓄積があっての判っていること。佐伯刑事もまた、言いたいことはまだまだあったが、自制でもってストップをかけ、自分もまた、白々と明けつつある窓の外へと視線を投げた。つい先日まで奔走していたとある事件への、拘留していた容疑者も確たる証拠を突き付けることで自白に導き、専門用語で“落として”の起訴も終え、書類上のあれやこれやという残務を片付け終えたのが昨夜の遅く。世間様は南半球から届く祭典の映像に一喜一憂していたころ、面白味なんて欠片もない、利己的な事情から人の命を奪った経緯を淡々と綴った書類とやらと、ただただ一心に睨めっこしていた彼らであり。法治国家の番人がこんなことを言っちゃあいかんが、時には人を害した側にこそ同情したくなるような場合もあったりする。だがだが、それへも不公平なくの公正な態度で臨まにゃならないのが、難儀といや難儀な稼業で。そういった苦渋や艱難辛苦を、幾つも幾つも歯を食いしばって乗り越えたからこそだろう。彫の深い精悍な面差しをし、一瞥だけで十分な攻勢の刃となるほど、深色の双眸が研ぎ澄まされた警部補殿なのだろと、部下の誰もが敬意を持って畏怖するのだが。
“自分にばかりあれこれ抱え込むところは、
あの頃のまま本当にお変わりないのだからな。”
今のこの現世における蓄積のみならず。もっと昔か、あるいは他次元世界から弾かれたそれか。前世と呼ばれる“生”の意識の残滓もいまだ持っているという、不可思議な身の上をした彼らには、懐かしいやら悍(おぞ)ましいやらな遠い遠い記憶。成層圏ぎりぎりという高層の宙空を舞台にし、国家同士に匹敵しようほどのそれは大きな陣営二つが、長い長い間しのぎを削り合ってた戦さがあって。そんな世界で最も危険な前線支部に配備されていた自分は、どういう奇遇か同じこのお人の配下にあり、やっぱり頼もしかったその背中を追ったり守ったりしながら、激しくも短く生きた身で。今でこそ、誰からも苗字の“佐伯”と呼ばれることの多い彼が、かつてはそっちこそを親しみや気安さから呼ばれた下の名前、
『……征樹、か?』
初対面の場で、随分と驚いて目を見張った蓬髪の警部補殿だったことから、彼もまた過去の記憶を持つと一目で知れた判りやすさは だが、その時のみが例外であったらしく。今の生でも相変わらずに、ご自分へと非難や苦労を集めるところは健在で。
『なに、いちいちの刷り合わせの暇間も惜しいと思う、ズボラ者なだけさね。』
憎まれ役としてワンマンぶるなんてのは序の口、時にそんな綱渡りな捜査があるものかと、本来無鉄砲をする側だろ若手がむしろ案じるような無茶もしかねず。そのくせ片付いてみれば、どこにも手法的な違反や非合法なところはない収拾で〆めとなるほどに、あまりの手際のよさがいっそ恐ろしい人。情に厚いくせに、冷徹でなければならぬという条理も外さず、堅実冷静で知られつつ、実は果断にして大胆なこともやらかす破天荒ぶりも相変わらずな、よく言って袖斗(ひきだし)の多い上司殿は。どんなに非情な鬼道っぷりを装っても、心ある人からは何かを見抜かれ、するすると好かれてしまう素養も相変わらずであり。
“……………お。”
話を誤魔化してのこと、窓の方を向いてしまった警部殿のデスクの上に、かわいらしい籘カゴに収められた洋菓子を見つけ、おやまあとついつい口許がほころんだ 元・島田隊の双璧の片割れ殿。落ち着いた重厚さへ何とも映える、強いお酒や 苦いばかりな煙草こそが似合うのだろう、いかにも渋くて男臭い見かけによらず、実は甘いものも結構な比率で口にする勘兵衛であり。そして…ここがまた不思議なことには、そんな嗜好もまた、婦警たちや女性職員たちやらには、とっくの昔に広く知れ渡っていることであるらしい。随分と年上な世代の警部補殿の、頼もしくも精悍なダンディさにこそ うっとりと惹かれていた筈の女性陣。そんな対象が甘いものも好むと知って、だっていうのに幻滅するどころか“可愛いvv”という“好もしさ”へとカウントされているというのだから、今日びのお嬢さんたちったらどれほど何でも有りなのだか。しかもしかも、
“この包みようは…。”
元は半ダースほどもあったもの。それが随分と食べ尽くされての2つほどしか残っちゃいないから出してある…といった観のある、それらを収めた愛らしい籠には、見覚えがあるリボンが飾られており、
「七郎次ですか? あ、いや、シチロージちゃん、でしょう?」
つやのあるサテンの濃い紫のリボンは、近ごろの時折、勘兵衛の持ち物へちらちらと見受けられているそれであり。彼女の手がかかったものへと結ばれているという“共通項”を知って以降は、まるで自分という存在を、だがだが押しつけがましくはないよう、ぎりぎりの方法としてのさりげなく、主張したいかのようだと思えてならぬ。そんなリボンがヒントになったと、差し入れの主の名を挙げたれば、ちらりと寄越された勘兵衛からの視線が、小さく瞬くことで“是”と示す。そちらもまた、自分らと同じ世界から転生して来たらしい奇跡の存在。昔の当時は、最年少の斬艦刀乗りにして、隊長だった勘兵衛の副官として配属された青年下士官が。あっと言う間に頭角現し、平生は知将、だがひとたび乱戦へ飛び込めば、鬼のような太刀働きを見せることから“白夜叉”との異名持つ勘兵衛の、様々なものを負った背中を護りし“白金の狛”などと呼ばれた、彼もまた札付きの“もののふ”だった青年が。ここまでとことん彼(か)の司令官を慕っていたからか、正に追って来たかのように彼らの間近へその姿を現したのが…、
“一体いつのことなやら。”
この庁舎にまでやって来たことで姿を見た征樹と異なり、そんな彼女が足を運んだ、大元の原因というか目的だった警部補殿である以上。勘兵衛とはもっと先(せん)に、再会し直しとなる“出会い”を果たしていたのは明白で。まま、彼ら二人が軍人としての間柄を越えた次元での“思慕の対象”同士であったことまでも、当時から把握していた征樹としては、おいそれとは他言出来なんだらしい勘兵衛の心情も酌めたので。水臭いとかどうとか、非難めいた言いようをしたことはないし。いつの間にか知っていてのそれで、他の部下らと同様な、冷やかし半分な物言いをするという程度に留めており。問わず語られずの内から、それでもさりげなく察しておく術は、それこそあの当時からもこなしていたこと。微妙になおざりな扱いとしたは、むしろ察してくれという勘兵衛の側からの示唆と取っての今へと至っていて。顔を見りゃあちょっとした会話をこなす程度の接触がある、あの愛らしい女子高生からの差し入れかと、言葉少なに訊いた征樹へ、
「昨日の朝早く、学校に行く前にと届けてくれてな。」
話題が別なことへと切り替わったからか、再びこちらへ意識を向け直して来た上司殿。まるで売り物のような丁寧さ、個別にセロファンで包まれた5センチ幅ほどのそれは、切り口が愛らしいロールケーキであるらしく。
「おやまあ。生菓子だから早く渡したかったのでしょうね。」
きっと前日の日曜に作ったもの、気温や湿気の高い季節に入ったことから、一刻も早く渡したいと、自分が通う女学園からは結構遠い此処へまで。わざわざ運んだ彼女なのだろことはあっさりと伺えて。間が悪かったか こたびは逢えなんだが、今時のおしゃれを存分に楽しんでいるらしき、そりゃあ可愛らしい女子高生の七郎次は、征樹にも眼福この上ない対象で。一応はそれなりの格のある家で、のほほんと育ったらしいお嬢様。部活に勇ましい剣道を選び、結構真剣に取り組んでいるのは前世からの記憶の名残りかもしれないが。それ以外では、他愛ないことへと軽やかに微笑う、屈託のない年頃の一少女に過ぎなくて。体の線が出まくりな恰好を窘めれば、色合いも渋めに押さえた、オランダ国旗みたいな幅広ボーダーの、膝も隠れる長さのジャンパースカートを着てみせたはよかったが。ドレープたっぷりのそれの下、Tシャツとレギンスだけしか着ちゃあいなかった体の線が、今度は陽に透けていたのが、いかにもの仄めかし路線で やっぱりせくしいだったりしたもんで。
『一体どこで、あんな“あっぱっぱ”みたいな服を買って来るのやら。』
『勘兵衛様。あっぱっぱみたいな…ってのは、今時の子には通じませんて。』
いかにもなせくしい路線では釣られてくれなんだ誰かさんへの、それもやっぱり“お色気作戦”の一環だったんでしょうよと。嘆きのぼやきをつい最近にも、聞いて差し上げたばかりじゃあなかったか。2つほど残っていた一方、桜色のクリームと真っ赤なイチゴを巻き込んだ方をほれと差し出され、小さく会釈をして受け取りながら、
「相変わらずに器用な子ですよね。」
確か、ネックウォーマーを編んでもくれてたんじゃあ…と。そんなに遠くもない最近、手の込んだお手製の贈り物をされてらしたの思い出し、何気に冷やかし半分で口にしたれば、
「手先が器用は変わらぬが、料理はさほど得手ではなかったようだぞ?」
勘兵衛にしてみれば、単なる廉直な言い直しのつもりだろうが。素直に照れるどころか、もっと色々知っていると言っている、ある種“惚気”のようなものだと、
“もしかして、気づいちゃあいないんだろうか。”
いい年をしている枯れ切った年寄りだからと、恋情や何やにはとことん疎い野暮だと構えておりながら。だがだが、そこはさすがに人生二回分の蓄積の深さ、人の機微のようなものへはずんと深い造詣があるお人で。色恋から頭に血が昇った一途な女性の犯罪へ、
『いいかね、それを見越して利用したのだよあの男はな』
と、殺人を教唆した真の実行犯とも言えよう存在を、それはあっさりと炙りだした事例も数知れず。しかも…時々人を振り回すタヌキっぷりを繰り出しもしていた御仁だった記憶も多々ありなだけに、本当に“素朴でか〜わいいvv”と愛でられるよな、単純な朴念仁なだけなのだろかと、ハッと我に返ることも少なかない征樹殿としては。気の利かない壮年、ダメ親父っぷりも演技のうちじゃあなかろうかと、時折 思わなくもなかったりしつつ。さりとて、
“あの七郎次にだけは、
上手に嘘をつけてた試しのないお人でもあったよな。”
そっちも思い出しての…結句、微妙複雑なお顔になってしまう今日このごろ。それを見とがめられかかっての誤魔化す代わり、ありがたくもいただいた焼き菓子を、包装解いてパクリと頬張れば。きめの細かいスポンジの柔らかさと、くどくはなくの品のいい、イチゴの風味がほのかに滲む生クリームのまろやかな味わいが、ちょっぴり寝不足の乾いた感覚をしっとり潤してくれるよう。
「うあ、上等な出来じゃあありませんか。」
「一人で焼いた訳じゃあないと言っていたがの。」
まだ言うかと視線をやれば、身内への謙遜だ文句があるかと言いたげな、極上な笑みとぶつかって。ああそうか、さっきからのほめ言葉へのつや消しな文言の真意は、つまりはそういうことだったんだと。長年やきもきばかりさせられていた征樹殿としては、やっとの納得を拾ったついで、勘兵衛が遠回しに発露したその想いの甘さへも、何とはなしホッとするばかり。
―― 一人で焼いたんじゃないって、
それでは家庭科の実習か何かですか?
いいや、随分と親しい
“親友”というのが一緒に作ったらしゅうてな。
ああ、もしかして、いつぞやの痴漢だかひったくりだかを撃退した騒動で、一緒にこちらまで連れて来られたお嬢さんたちですねと。今の七郎次と同世代だった少女二人を思い出したらしい征樹の言いようへ、
………ふっ、と
口元の両端をきゅうと頬へと食い込ませるほど、くっきりと判りやすい笑いようをした勘兵衛であり。何口かだけを飲んだ缶コーヒーを手元へ見下ろし、優しい何かを思い出すよな、さらりと甘い笑みを口許へ浮かべると、
「その親友二人というのもな。」
「はい?」
お主だから言うのだが、実は我らと同じく転生したクチの御仁らで…と。どれほどのこと奇縁でつながった我らであることかと言いたげに、くすくす微笑った彼であったが、
「というと、勘兵衛様にもお心当たりのあったお方々で?」
「ああ。?」
「ふ〜〜〜ん。」
「いかがした?」
いえね、あれほどの美人二人だったのに、わたしには覚えのなかった存在でしたので。それがやっぱり“転生”した人物だとなれば、勘兵衛様や七郎次にのみの かかりゅうどだってことになる…という言い回しをされ。そこでやっとのこと、ハッとした勘兵衛へと畳み掛けられたのが、
「どんだけあちこちで不憫がられてたお二人なんですよ。」
「〜〜〜〜〜っ☆」
例の大戦の、最終決戦となったあの戦域までをご一緒した、この私にゃあ覚えのない人たちだってことは、恐らくは大戦以降も長々生きながらえたお二人だってことでしょし。共通の知己だということは二人が共に居らした証し。そんな場にて知り合いとなったお人たちから、放っておいたらまた成就しそこなうんじゃないかと案じられ、見届けなければとの一念からでしょう、こうして追って来られているほどとはねぇ、と。しみじみ唸った黒髪の元部下の言いようへ、
「あやつらが意志あって追って来たとも思えぬが。」
せいぜい言い返したのがこれと来て。口が達者な勘兵衛をやり込められたなんてネと、苦笑が止まらぬ若いのへ、
「お主のことはいまだ思い出さぬシチロージだそうだの。」
「はい。」
勘兵衛がハッとしたのは、むしろそっちの事実へであったのだけれど。征樹本人としては、さして思うところもないらしく。
「仕方がありませんよ。」
シチにしてみりゃずんと若いころの、しかも思い出したくはないだろう地獄のような戦乱の時期、一緒に居たってだけな間柄の人間ですからね。しつこいようだが あの大戦ののちも長生きなさったお二人なんなら、そうして紡いだ新しい思い出にどんどんと押し出されての遠くなり、すぐさま思い出せない記憶にされちまっててもおかしくはない、と。自分のことだろに、そんな風に淡々と言ってのけ、
「今の可愛らしいシチちゃんから、
何も言わずとも勘兵衛様へと話を通してくれる、
なかなか気の利くお兄さんだと懐かれてるだけで十分ですよ。」
命懸けての戦いの中、永遠の別離がいつ襲うやもしれぬという、何とも哀しく物騒な立場を問答無用で強いられるような、時代や地域じゃないその上に。一体どんな神様のご褒美か悪戯か、七郎次の側がそりゃあ愛らしい“女性”となっての転生 果たしているが故。もうちょっとほど刻を待てば、晴れて“夫婦”にだってなれる間柄として出会い直した二人なのだから。今度こそは幸せに添い遂げてもほしいというのが、それこそ昔の前世で 他人の恋路だってのに何とも歯痒い想いばかりをさせられていた身の者だからこそ言える、心からの正直な願いでもあったりし。
「……ところで、そっちの抹茶の方は、
何だか異様なほど刺激臭がするようですが。」
「ああ、気がついたか。」
無下に捨てる訳にもいかぬでな。うっかり食べ損ねているうち、賞味期限を過ぎたという方向へ持っていこうと思うのだと。いたく真剣にご説明くださった、クリームもケーキ生地も淡い緑色の、一見しただけなら十分美味しそうな外観のその一切れこそ。誰かさんが罰ゲームよろしく紛れ込ませた、わさび入りのアレであり。何でまたそんな物騒なものを、彼女らから同包されているのかと、征樹殿から問われてしまった勘兵衛様。はてさて どうと答えて差し上げるのやら。
………と、とりあえず。おめでとう、全日本!(こらー)
〜Fine〜 10.06.15.
*このお話には、実はもうひとつ余談があって。
二人っきりになると、
勘兵衛様、征樹と下の名前で呼び合い、
小声で、しかも何やら意味深な表情になっての、
何ごとかを語らい合ってる彼らなもんだから。
………冒頭に出て来た、
佐伯さんへ さして物おじしないで接してた婦警さんが、
そこのところの方へこそ関心ありありな、
“腐警さん”だったりしたら笑えるという……vv(強制終了)
*ええ〜〜っと。
ウチのお部屋のお話ならではな、
とある“オリキャラさん”をからませての。
『ここ何話かで株を下げ気味な勘兵衛様ですが、
やっぱりかっこいい警部補殿なんだよ』 という
あくまでもフォローを目指したお話でございましたvv
征樹様ファンの方、ご満足いただけましたでしょうか?(笑)
だって、良親様だけってのは、何か不公平じゃあありませぬか。
(ま〜た判りにくい話をする。笑)
勘兵衛様と出来てんじゃあ?なんていう
大きなのっぽのフル誤解もされてる征樹様が、
果たして幸せかどうかは…難しいところでしょうな。
案外動じてないかもです、二人そろって。
こういうこと、他人事みたいに面白がりそうだし♪(こら)
めーるふぉーむvv


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